アナログな贈り物、手紙の思い出

今はメールですぐに友達と連絡を取る事が出来る便利な時代ですが、たまに手紙を書くことがあります。

普段からメールで連絡を取り合っている学生時代の友達宛の手紙ですが、近況報告一つでも文章が長くなる時や、深い悩み事の相談など、紙に書いた文章で伝えたい事がある時はあえて手紙を書きます。

手紙のやりとりをしている友達も長年のやりとりでの習慣で手紙に書いた事への返信はメールではなく手紙で返信をくれます。
その友達はすぐに会える距離にはいないので、なかなか会う事が出来ません。
だからこそ、たまに手紙でやりとりを行う事により文章の筆跡や書いてくれた内容から友達を近くに感じる事が出来るので、より友達の存在のありがたみに感謝の心を持つ事が出来ます。

デジタル化が進んでスピード重視の便利な世の中になりましたが、「手紙」というアナログな作業は滅びてはならない大事な文化だと思います。
実際に手紙の文章に励まされた事が何度もあり、私は地方から都会に出てきた上京組なので慣れない都会暮らしで心が折れそうになった時は友達からの手紙を繰り返し読んで励みにしています。

大人になった今だからこそ紙に文章を書くという手間をかけ、相手の気持ちを思いやる事が出来る手紙というツールは素晴らしい物だと実感しています。

 

今まで貰った手紙の中でも、特に記憶に残っているのは中学時代の恩師から戴いた手紙です。

当時中学二年生だった私は、やんちゃ盛り。何が面白くなかったのか、親や教師を困らせるような発言や行動をしては叱られていました。

そんな中でも、当時の担任の先生は辛抱強く私や周囲の悪ガキたちを相手に親身になって時間を割いてくれていました。

当時はうっとおしいと思っていましたが、就職が決まった年に報告をかねて年賀状を送ったところ長い手紙が届きました。

内容は、私のことをしっかり見てくれていたんだなということが伝わってくるもので長年気にかけていてくれたことも分かりました。

そして、あなたが自分の力で立派に成長して連絡をくれたことが本当に嬉しいというような言葉が添えられていました。

当時の私は相当イヤな生徒であったと思い込み、懺悔のような気持ちで書いた年賀状でしたが温かく受け入れて下さった担任教師の懐の広さを私も見習いたいです。